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中島みゆき「夜会」vol.16 本家・今晩屋から 第53回

昨年、11月、夜会「元祖・今晩屋」に立ち会って
次のように「日記」に記した。


11月21日。
「夜会」2日め。

みゆきさんの2年ぶりの夜会に立ち会う。

怒っている。鳴いている。
叫んでいる。
みゆきさんは、この荒れすさんだ「時代」を予言していたかのように、

不動明王になり、鬼子母神となり、夜叉となった。
人間の業をさらけだし、108つの煩悩を越えて、
109つの鐘が鳴り響く現代社会、人間世界に警告をならし続けていた。

救いを求める民衆に対して、
自力で生きよと説く。

孤独も、救いも、さびしさも、すべて
自力で立ち向かい、
こうした時代を何度でも、招く人類の業火は、
一人ひとりの心のありようだとせめたてる。

その言葉は、みゆきさん自身にも向けられていた。

リアリズム。どうしようもないリアリズム。
ここには、「誕生」にみられるwellcomeもなく、
「記憶」にみられる「human」もなく、
「二漕の舟」にみられる「partnership」もなく、

ただ、地獄の業火にさらされ、
現実をうけとめよという
御宣託が告げられる。

十文字は、ひとしく私たちの額に刻まれているのだ。

姉と弟、母と娘、時代を輪廻して
繰り広げられる人間関係の「拘泥」

娘を捨てた母と
わかりあえない姉と弟、
歪みつづけ、ひずみ続ける人の世。

鬼子母神となったみゆきさんが、
西方極楽浄土へと、自力で生きようとするもののみを
救おうとする。

すべてが自業自得、それをかみしめながら、
生きよと、みゆきさんは、

歌う。

中島みゆきは、怒っている。
人間を恐れている。愛のかけらもない。
しかし、それは、自分自身にもむけられている祝詞だ。。

懺悔ではすまされぬ、後悔にさいなまれよ。
三途の河もだまって渡らせぬ。

戦争、子捨て、裏切りに、濡れ衣。
それは人間が繰り返してきた業なのだ。

一部のラストで、お堂が焼け、
いよいよ地獄の門が開かれた。

そして後半になり、
みゆきさんをとりまく空気がかわり、
舞台の空気がひずんできた。

これは、もうこれは照明と装置の成果だ。
ラストステージは、悪鬼となったみゆきさんが、
とてつもなく大きくみえはじめる。

鬼神となったみゆきさんの祈りが、発せられたとき、
私は、空間がひずんだといい、友人はオーラがみえたという。

アマテラスへ、錯覚なのか、
これは、紅天女なのか?

あっっ、みゆきんに憑依したものは、
みゆきさんが転生したものは、
はるかに想像をこえていたもの。

生命の起源、生命のオリジンそのもの、
鼻水と、涙があふれ、

身体中に熱い精気が満ちてきた。
その瞬間、中島みゆきは「夜会」を超えた。


…はやくもネット上では、
賛否両論にあふてれいる。

夜会は、演劇だとか、ミュージカルとコンサートの
折衷だとか、いうレベルを、はるかに「越えて」しまった。

「時代」。
中島みゆきと、すごせるこの「時代」は、
私たちが生きているこの「時代」だけだ。

私たちが死に、あたらしい時代の子どもたちが、
たとえ、新しい時代をつくっていくとしても、
中島みゆきは、再び輪廻転生してゆくのだろうか。

たぶん、答えはこうだろう。

人間の業が続く限り、
人間の罪が消えぬ限り、
人間が愛の業火に燃えさかる限り、

中島みゆきは、どんな時代にも
何度でも生まれ変わってくる。

みゆきさんは、中島みゆき、という個体を越えてしまった。
個にして普遍的な存在であり、

肉体であると同時に、魂の存在になった。

私たちは、いま時代の「変わり目」と
時代の「苦しみ」と、
開けるべき、時代の「可能性」について、

目をひらかれたのである。

希望のseedは、確かに自分の胸のなかにある。
人間の逃れることのできない業を、深層から呼び覚まし、
中島みゆきは、ついに、わたしたちの希望そのものとなったのかもしれない。


…………
そして今宵は昨年の再演。

驚いたことに
みゆきさんは、怒りの不動明王、
夜叉から、慈母神へと見事に転生を遂げていた。

高みから、人(罪人)を導く、高天原の天孫ではなく、

地獄にいて、人を地に押し上げ、
西方極楽浄土へと導く宝船に、一人残さず、罪びとを乗船させた。

そして自分は、人々を見送り、かの地に送り届けたあとも
地獄で、人々が幸せになることを願っている。

その姿は摩利支天となり、

時空を超え
阿弥陀如来へ、そして大日如来へ…とその姿を変えていた。

みゆきさんは、
生きとし生けるすべての人間の、
罪びとの印として額に刻まれた傷・十文字を、

地に描かれた「十文字」
人と人が交わり、出会い、愛と信頼を育む交差点へと
進化させたのだ。

人生はやり直せる。
たとえそれが、世代を超えた悪行の輪廻だとしても、

今生の人と人との出会いの力によって、
人はその輪廻を断ち切ることができるのだ。

人間の悪行を嘆き、裁く不動明王は、
愛染明王へと転生し、

わたしたちの心の芯に、希望の灯りをともした。

それは、生きとしいける罪人の力と
天の力が結びついた奇跡。

仏は私たちの一人ひとりの心にやどり、
神は、わたしたちの心が結ばれたところに

現れた。

中島みゆきと、私たち、そしてこの時代が、
2009年「夜会」という奇蹟をうみだしたのだ。

身体の芯からこみあげてくる感動、震え。

そして、親鸞の教えの意味するところが、
劇場内に満ち溢れてきた。

「善人尚もて往生をとぐ いわんや悪人をや」

罪びとである私たちの心に、
人であることの喜びと自負が芽生え始めた。

幸福は一人の力で生み出すことはできない。
時代が、人々の心が重なり、合わさったその十文字
そのものから、

仕合せは生まれてくるのだ。

余韻を残し、
中島みゆきという奇跡と出会えた今生に
深く感謝し、同好の士たちと語り合いながら

一人帰宅の途についたのであった。
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manchi

Author:manchi
メディア、情報文化、マンガ、アニメーションなどの批評・研究などやっております小山昌宏です。著書『情報セキュリティの思想』(勁草書房)『宮崎駿マンガ論』『戦後「日本マンガ」論争史』(現代書館)など。

http://http://researchmap.jp/46462176/

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